映画「出口の無い海」
招待券を頂いたので、映画「出口の無い海」を観賞しました。ところが映画を見る前に街を歩いて食事をする途中で、招待券を落としてしまい、結局シニア割引で入館しました。
映画は今頃人間魚雷「回天」か?、と思いましたが、海老蔵が扮する主人公が「オレは国のためや名誉のために死ぬのではない、この回天の記憶を後世に残すのだ」と言った言葉が制作者の訴えたいことではないだろうか。
JRの意地悪
私は東京から広島に行く機会が多いが、速い乗物に乗ると耳が痛くなるので、JRの「ひかり」を利用している。最近ダイア改正があり新大阪での乗り替えが不便になった。改正前は乗り換え時間が30分程だったが 、改正後は東京から「ひかり」の到着時間と新大阪から出発する「ひかりレールスター」の発車時間が同時刻となり、次の列車に乗るまで1時間の待ち合わせとなった。東京から広島等中国、九州に行く人はのぞみを使えということだろうが、いぞみに乗るのが出来ない人がいることも考えて欲しい。また、ジパング倶楽部の割引を利用する人も同じ思いだろう。ジパング倶楽部の宣伝は華やかにしても、その利用者に不便なことには無関心とはいかがなものか、機会があったら聞いてみたいものだ。
お国柄か?
昨年と一昨年の2年間、公立小学校の内外で暴力事件が1件も発生してない県は山形、福島、鹿児島の3県だった。これらの県は江戸時代から子弟の育成に熱心で、その地方独特の育成方針によって子弟を育てたことで知られる。今でもその名残が残っているのだろう。お国柄、県民性というと、古くさいといわれそうだが、古くても良いことは後世に伝えてゆきたいものである。
社友会
今年も社友会の案内が来た。毎年秋に行われるこの会合は、以前勤務していた会社OBの親睦会で、会合にはOBと現在の役員、部署長が出席する。
私はこのような昔の仲間の会合、同窓会、同期会などには原則として出席しない。昔のことを懐かしむ以外に意義を認めないからである。特に社友会は会社での序列がそのまま現在も引き継がれており、以前の職名で呼ばれることがいやである。中にはそのことのために出席する人もいる、と聞く。出席者の多くは昔の仲間と会い、若かりし良き日日を語り合い、現在の状況を確認し合い、世の中の情報交換をするのであろう。しかし、近頃ではコンピューターや携帯電話があり、情報の収集や友人の近況等の掌握には不自由しない時代になってきた。
同様なことが葬儀や告別式にも言える。親戚やごく親しい人の場合を除いて参加しないことにしている。現代のこの種の行事はそれを執り行う喪主や当事者の意に反して、コマーシャルベース優先になっていることが多いからである。私は参加しない代わりに初七日や四十九日に花を送って故人の冥福をお祈りすることにしている。